レオン
2006-12-20 17:00:00さらばハイセイコー
2006-12-15 17:00:00ドラえもん のび太とロボット王国
2006-12-10 17:00:00ロッキー5 最後のドラマ
2006-12-05 17:00:00こちら葛飾区亀有交番前派出所
2006-11-30 17:00:00
おじいちゃんは無口な人だった。
余計なことはいわずに、やるべきことをやる、
そんなタイプの人だった。
僕はおじいちゃんにかわいがられていた。
会話はなかったけれど、それでも愛情は感じた。
兄はおじいちゃんによく怒られていた。
おじいちゃんは口より先に手が出る。
相手が倒れたら今度は足が出る。
だけど僕は一度も怒られたことがない。
僕が小学生のころ、兄と二階でプロレスごっこをやっていた。
布団を引いてリングに見立てて、相手を叩きつける。
しかし体の大きな兄にはかなうはずもなく、僕はおもに投げられ役。
だけどとても楽しかった。
兄が僕にパワーボムを決めたとき、階段の下からおじいちゃんが叫んだ。
「やかましいぞっ!」
無口なおじいちゃんが叫ぶっていうことは、かなり危険な状態なのだけど、エキサイトしている僕たちは止まらない。
兄が僕にバックドロップを決める。
するとドタ!ドタ!ドタ!とすごい勢いでおじいちゃんが階段をのぼってきて、ドアをバシーン!とドアを開けてまっすぐ兄のほうへ向かい、ほほをバチーン!
そして、そのまま階段を降りていった。
僕は殴られなかった。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の6巻にこんなシーンがある。
顔見知りのスリ師の犯行現場を押さえる大原部長。
部下の中川が手錠をかけようとすると、大原部長がそれを制して、自分で連行するという。
部下たちから離れ、説教の1つでもして見逃すのかと思いきや、部長はこういうのだ。
「罪は罪だ。あと始末はキチッとつけるんだ」
優しくするだけが愛情じゃない。
大原部長に逮捕されたスリは、たぶんうれしかったと思う。
僕もあのとき、おじいちゃんに殴ってほしかった。
天使な小生意気
2006-11-25 17:00:00
カッコ良くなりたい。
物心ついたときからそう思っていた。
夢だった、といってもいいかもしれない。
でもカッコ良くなるために、具体的にどうすればいいのか、分からなかった。
どうすればカッコ良くなれるのか、誰も教えてくれなかった。
大人たちがカッコいいという言葉を使うときは、大抵、見栄えのいい人のことを指していた。
高校生になると、友だちは外見に気を使うようになった。
だけど僕は服にお金をかけたこともないし、洗顔に気を使ったりすることもなかった。
オシャレというのは、カッコいい・悪いとは別の次元の話である。
オシャレが趣味という人はいいと思うが、「モテる」ために外見だけ見栄え良く整えるなんて、男のやることじゃない。
ファッション誌を買っておしゃれの勉強、なんて僕にとってはむしろ、カッコ悪い行為だった。
「カッコ良くなる」というのは「目的」ではなく、「結果」であるべきだ。
それからかなりの月日が流れ、僕は27歳になった。
自分をカッコいいと思ったこともなければ、だれかにそういわれたこともない。
けれど、どうすればカッコ良くなれるのか、ようやく分かってきた。
西森博之の漫画「道士郎でござる」の中に、こんなセリフがある。
好きな子の前で女装する羽目になった不良高校生・源蔵が、自信満々でこういうのだ。
「男ってモンはどんな時でも姿でも…堂々としてりゃカッコ良く見えるもんなんだよ」。
ヤンキー少年の言葉は、大人たちの言葉よりもずっと分かりやすい。
美味しんぼ
2006-11-19 17:00:00
過ぎたるは及ばざるがごとし、ということわざがあるように、ものごとにはちょうどいいライン、というのがある。
お金に関してもそうだ。
稼げば稼ぐほどいい、と考える人も多いだろうが、多けりゃいいってもんじゃない。
使い切れないお金に、何の意味があるのだろう?
未来に対する保険ということなら意味はあるのかもしれない。
だけど、起こるかどうかも分からない未来の災難に対して、必死になってお金を稼ぐなんて、何のために生きているのか分からない。
稼いだ人が勝ち、みたいな風潮にはちょっと疑問を感じてしまう。
お金は必要だが重要ではない、というようなことをいう人も少なくない。
だがそれらは単なる負け惜しみだったり、その場の雰囲気に任せてしゃべっているだけだったりすることがほとんどだ。
料理マンガ「美味しんぼ」に、こんなセリフがある。
料理店のオヤジが貧しい25歳の青年にいうのだ。
「いいかい学生さん,トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。
それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ」
トンカツ定食の値段は店によって差があるけれど、安さをウリにしている店を除くと、1千円と2千円の間というところが一般的だろう。
ちょうどいい経済状態を表す目安として、この「トンカツをいつでも食える」という条件設定は、非常に共感できる。
トンカツを食べるたびに、思い出す一言だ。
木更津キャッツアイ
2006-11-13 17:00:00
人生は戦いの連続だ。
対戦相手は親、先生、上司、友達、恋人などなど。
世の中は思い通りにはいかない。
完璧な企画書だからって、通るとは限らない。
主義に反する頼み事を断れないこともあるだろう。
勝ち続けることはできない。
みんな、勝ったり負けたりを繰り返して、歳をとる。
しかし見方を変えれば、それらはすべて自分との戦い。
自分の不誠実さとの戦いだ。
そう考えた場合、全勝も不可能ではなくなる。
手を抜いたら負け。妥協したら負け。
全力を出し切ることができれば、勝ち。
企画書がボツになったとしても、ベストを尽くしたなら勝ちだ。
もちろん、簡単なことじゃない。
睡魔に身を任せれば、とりあえずは幸せだ。
妥協すれば、仕事は驚くほど早く片付く。
それに、言い訳という名の逃げ道もたくさんある。
時間がない、環境が悪いetc…。
自分に負けないようになるということが、大人になるということだと思う。
負けそうになったとき、思い出す言葉がある。
ドラマ「木更津キャッツアイ」のぶっさんの名セリフ、「負ける気がしねぇ!」だ。
ぶっさんになりきって叫ぶと、ホントに負ける気がしなくなる。
前向きなパワーを持ったセリフだ。
機動戦士ガンダム
2006-11-07 17:00:00
明け方、夜勤から帰ると、テレビでガンダムが再放送されていた。
放映当時、自分は小学生。
僕も、アムロみたいなヒーローになれると思っていた。
でも結局、自分はニュータイプではなく、平凡な一般人だった。
夢らしい夢を、いっさい持たずに大人になった。
今は工場で、エンジニアとして働く。
機械いじりは、昔から好きだった。
自分の力で、何かを作り出したかった。
でも実際は、上司からの指示を淡々とこなすだけの、創造性のカケラもない仕事。
僕なりの工夫は、効率化という波にのまれて、霧消する。
薄暗い部屋で、毎朝ガンダムを見るのが、唯一の楽しみだった。
物語の佳境、敗色濃厚な戦況の中で、格納庫は活気にあふれていた。
そこには、切り札的な期待がかかるモビルスーツがあった。
だが、完成度は80パーセント。エースパイロットが完成度を問う。
まだ足が出来ていないモビルスーツを指して、エンジニアはこういった。
「足なんて飾りです。 偉い人にはそれがわからんのですよ」
装飾がもてはやされ、本質はおざなりにされる世の中。
僕はいったい、どれくらいの無駄な足を作っているのだろう。
麻雀放浪記
2006-11-01 17:00:00
高校卒業後、何年かギャンブルに明け暮れていた時期がある。
種目はパチンコと競馬。
パチンコは「釘」さえ読めれば、まだ勝てる時代だった。
月曜日から金曜日まで、毎日10時間、パチンコ台と向き合っていた。
毎月50万円以上の水揚げがあった。
今思えば、ハタチ前にしては破格の稼ぎだったが、当時は全然足りないと思っていた。
県内屈指のバカ高校を、一緒に卒業した友人たちの就職先は、主にブルーワークだった。
郵便局や水道局など、「堅い」職業に就けた者は、ほんの一握り。
どっちにしても、狭くてぬるい地元からは抜け出せない。
俺たちみたいな半端者が、でっかい成功を掴むには、もっともっと金が必要だ。
土曜日と日曜日は、いつも競馬場にいた。
パチンコで稼いだ50万円は、いつも馬券という名の紙くずになった。
100万円単位の払い戻ししか、眼中になかった。
負ければ負けるほど、絶望の中から闘志が沸いてくる。
そのうち馬の顔なんか見たくもなくなった。
でも平日になると、競馬場が恋しくなった。
ある日、公務員になった友達と飲んだ。
給料はそこそこ。ボーナスも出た。しかも仕事は楽。
毎日定時に帰っては、合コンに励んでいるらしい。
お前も頑張れよ、と言われた。
お前こそ頑張れよ、と思った。
ポケットにはいつも、阿佐田哲也の「麻雀放浪記」が入っていた。
自分の女を売ってまで、バクチを打ち続けるドサ健に憧れた。
安定をよしとする周囲の声に、彼はこう叫んだ。
「手前等にできることは、長生きだけだ!」
その言葉だけが、僕の頼りだった。
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